本多流射学

~ 歴代宗家、名射手の著作、伝書から ~

本多利實
 これよりこの一本の矢を射る順序と規矩とをお話し致しましょう。
 この一本の矢を引くについての法則はすでに中古に大いなる改良がありました。なかんずく日置弾正政次の定めたる法則は今日まで残り広く行われて居る次第でありますから、まずこの人の工夫に成れる法則や順序をお話し致すことにしましょう。
 この人はまず七道という法則を立てたのであります。その七道と申すことは一に足踏(あしぶみ)、二に胴造(どうづくり)、三に弓構(ゆがまえ)、四に打起(うちおこし)、五に引取(ひきとり)、六に會(かい)(會のことを流派によりて持(もち)の字を用いますし、また抱(かかえ)とも申します)、七に離(はなれ)であります。
 これに付け加えて五味(ごみ)というのがあります。五味とは第一が目附(めつけ)、次が引込(ひきこみ)、次は抱(かかえ)、四は離(はなれ)および延合(のびあい)、五に見込(みこみ)であります。七道に五味を加えると申しますが七道の方は姿勢の規矩を現に人の肉眼より見て名付けた所でございます。しかるに五味の方は精神上の働きについて定めたる規定でありますから、目に見える所の七道とは全く性質を異にしております。つまり一方は精神にあって他の方は外形にあるのであります。弓を学ぶ者は初歩の中より精神を込めてすることが必要なれば、またこの五味を五法といってこれを鍛錬することが肝要であります。そこでまず目に見える所の七道から説き始めることに致しましょう。
『弓術講義録 射術之部』

 

 これより射礼のことを一と渡りお話し致しましょう。そもそも射礼は射術に伴う当然の法則でございます。すべて物あれば則ありで、動作あればことごとく礼備わるは自然の道理でございます。されば弓を取って人の前に出るに当たって礼譲を重んずる式というものがあります。これを射礼と申します。
 射礼はこれをまた射手(いて)の言葉で申しますとタイハイといいます。なぜタイハイと申すかというに漢字で体配といいます。即ち体を配るということで、体を配るではいかにも殺気を含みまして、軍陣にあってはともかく、貴人紳士の居られる面前にて体配などと申しては何か貴人紳士に対して威力を振るうようにも思われて礼を失するかの懸念もあり、かたがた、以前かつて徳川政府の命令で弓術の礼式においては体配は平仮名で「たいはい」と書くことになりました。しかし常に行って居る射術にした所でいつも平仮名でのみ「たいはい」と書くとすればこの礼式の取扱に不便も多く且つ漢字で書くことを得ずとすれば誤解の懸念も少なくございません。今日から見ればいかに高貴の人の前を憚るか、ただ当時の状態を想像するに過ぎません。とにかく旧幕府の諸士に命令して弓の礼式は体配というべき場合には平仮名で「たいはい」と書けと申し付けたのでございます。それゆえその当時の弓書には体配は皆平仮名で書いてございます
『弓術講義録 射礼之部』

 

 今回は矢の中り外れのことに就いて少し述べてみようと思います。
 さて、弓を手にする人々の心に浮ぶことは何であるかと言えば、第一に起りますのはこの中外の議論で御座います。人によりましては中外を度外に置いて弓を稽古せよと申す者もあります。また中外は弓の生命であるとして修業する方もあります。いずれの言い分を聞きましても誠にもっともの道理であることで御座いまして、何れかに賛成せよと言われるとちょっと当惑致します。大方これらの議論の起こりますのは、修業の道順をかれこれ申すことでありまして、弓を射るということの終局の目的ではあるまいかと存じます。どなたもご存じのとおり弓は鉄砲と同様に離れ技であって、中れば共に効あり、外れては何の益にも立たぬということは決まりきったことであります。それをとやかく言うことは、私共は実に不審に堪えません。思うに、その中り外れの論議の起こるのは、前にも申す通り、その修業の道筋が違うからであろうと存じます。即ち普通に弓を習う人もありますし、また一方には真の娯楽として弓を射、ただ物に射当てて面白く遊ぼうという念慮を抱いている者もあります。ここにおいて、この間の相違から中外論も湧き出る次第であります。しかし前にも申す通り弓は中らなくては詮なきことであります。中りということは実に肝要なことであります。ただいま弓を学ぶ人においても、それぞれ志す目的があります。その目的の中に中りは必ず加へておくことであろうと存じます。この肝要なりとする中りにも品々の種類が御座います。即ち中てさえすれば姿勢は見苦しくとも一向構わぬという側の者もありますれば、また他方には体裁美しく、人前に出ても真に恥しからぬ射様をして、中てて見ようという考えの者もございます。
「中外論」

 

本多利時
 弓は頭で覚えただけではいかぬので、身体が覚えねば駄目である。筋肉の働き、力の入れ方等、すべて体得によらねばならぬ。晴れの場所で単に記憶をたどりたどりして射たとて、ロクな射は出来ない。平常の精錬によって意の動く所手至り、手の動く所法にかない、心身に一分の隙もないようでなくてはならぬと思う。また「独稽古を楽しむ」ということも一射ごとに気分を味わうような射にならねばならぬとの教えと思う。また晴れの場所でよく「上気する」という事がある。あまり経験の少ない人が晴れの場所に出ると周囲の事物は勿論解らず、自分も堅苦しくなって五里霧中となり、従って射も失敗に終わってしまうものである。これが「上気した」のである。次に少し馴れて来ると周囲の者に呑まれず、四辺もよく解り、自己も割合に楽となるが、ただ外物に気を取られ、心が散漫して統一が付かず、従って軽躁の中に終わってしまう類である。勿論このような場合は射も失敗である。これもやはり「上気した」ものの一つである。人間である以上、晴れの場所に出ても平常と少しも変わらぬという事は中々容易の修養では得られぬと思うが、周囲の事物のために自己の存在を失ってしまってはならぬ。そこには勿論、外物より来る精神的圧迫があるであろうが、自分は「ただ中る」の一念を以て、恐れず、驕らず、一貫して欲しいと思う。これは経験を積むに従って修養されて来るものとは思うが、また失敗あるごとに新しい発見もし悟りもある事で、射の修業と共に一生の修業であり、修養であると思う。
「弓道修業上に於ける種々の現れとその注意」

 

本多利生
 最近学生の射を見ていて気になることは、所謂鳥刺しの状態で弓をひく人が増えていることである。私共は引取で水流れになるのは良いが、鳥刺しには絶対ならぬ様厳しく指導されたものである。鳥刺しになると引取の段階で主導権をとるべき押手が弓に対してつっかい棒になってしまい会に至る引取の詰めの段階で伸び合うことが出来なくなってしまう。又鳥刺しになると往々にして勝手の肩肘が引取の運動に参加出来ず右拳で引張る形となってしまう。右拳に力が入ると引取が小さくなるし無理に引けばたぐる形になりいずれも結果として無理に右手を開いて離すことになる。では何故鳥刺しが増えているのか考えて見ると私は一つには押手を伸すことだけを重視して打起しの時から押手を伸して高く差上げるからであると思う。従って既に引取に入る前の打起しの段階で鳥刺しになっている人も多く見受けられる。打起しは弓構で弓懐をとり然る後右肘で弓を持ち上げる気持で行うと良い。左肩がゆったりとして余裕があり左拳は右拳より下に位置する様になり鳥刺しにはならない。もう一つの原因は大三及び引取の第二段階で起る鳥刺しの場合だが、打起しから大三に移行する時押手が先行すべきことは誰しも承知している筈、その時押手側の肩胛骨の下部を前に押つけて押手が浮かない体勢を作ることは必要だが、鳥刺しになる人は余りに押手を伸して押出すことだけに専念してしまうからである。左肩が後に逃げない様に注意しつつ(この時むしろ左腰を前に押出す様にしておくと左肩を含めて左半身が逃げることはない)左肘を左方に押出して行き勝手は押手の動きにつれて肘から先を引かせて送ってやる気持が大切である。右肘で力を受ける時感違いしてひっかけたり引張ったりすることは禁物である。右拳の位置は額より少し高目が良い。右肘から右拳迄を一本のものとして扱うことが必要である。此の右拳から右肘の線が左拳より高く位置する様になっていれば水流れであり鳥刺しにはならない。こうして正しい大三がとれれば押手が先導して引取ることが出来て引取第二段階でも鳥刺しにはならない。鳥刺しを戒める理由は押手を有利に使わんが為である。誰しも初心の間は押す力より引く力が勝っているものであり、それだからこそ出来るだけ押手が強く働ける様常に有利な位置をとる様にすべきである。以前は鳥刺しというと大三でやや押手が上がっている形が多かったが、最近は前述せる通り打起し、大三、引取第二段階それぞれで多く見受けられる。各人是非一度自分の射が鳥刺しになっていないかチェックして、もしなっていたら直ちに直していただきたい。此の事は正面打起し大三を取る本多流では特に注意すべきことである。
「鳥刺しの戒め」

 

髙木棐
 弓術は精神的方面を切り離しては、体育として最良のものと申す事は如何かと考えられます。その目的のために考案された、体操のある種のものの方が勝っているのではないでしょうか。ただ弓術は体育であると同時に、徳育そのものであり、かつ高尚なる趣味となる点が体操の及ばない点と思います。他のなにものよりもすぐれている点と考えられます。
 斯(か)く立派な弓術も、その指導方法、練習方法を誤れば、何らの益もないばかりでなく、かえって害となることもあり得ますから、練習者も指導者もお互いによく心を用いて、ますますその美点を発揚せられ、精神的にも肉体的にも、健全なる日本人たる自己を完成せらる様心懸けていただきたいと思います。
 昔から骨で引く、骨で射るといわれているのは、この無駄力を使わぬことを言っているものです。この事は弓術の第一歩であり、かつ弓術の奥儀にも通ずるものであります。第一歩を忽(ゆるが)せにすることは、とりもなおさず奥儀を忽せにすることになりますから、第一歩を大事に踏み出すようになさらなければいけません。
 弓術の修業は、「習慣は第二の天性なり」という言葉の通り、全く習慣の集積なのですから、平常の稽古が大切なのです。一本の矢を大切にするのは勿論、その座作進退も慎重に、典雅に、正直に行わなければなりません。
「弓術の医学的常識」

 

碧海康温
 本多流に於ては、その射の目的とする所は、次の三に盡きて居る。
  正射
  善中
  品位
 之を更に語を代へるなら、古書に示す所の、
  一に中り
  二に矢早
  三に花形
 自師賢覺(じしけんがく)の位に至るを、その極致としてゐるのである。
 正射(せいしゃ)とは、過去、現在、未來の三身に渡つて、足の先から頭の先まで、兩手の端から端まで、正しさと美しさとが一貫して居らねばならぬ。張りきつた力の充實感、力の眞の調和を希求してやまず、決して的に矢を中てるために力を調節するなどといふことはなく、弱きは飽くまで強く、強きは更に強く、鍛錬によつて初めて生れる「冴え」と、精神力の充足による「自信」とを持つて、その一矢、一矢の完成に努力する事に外ならぬ。
 花形(はながた)といふのも同じ意味であつて、直(すぐ)にうつくしく射ると、古書にも説明されてゐるが、修羅煩惱(しゅらぼんのう)を離れて、修學水鏡の如く、静かに法に従つて正しく射ることは、自然、他の人よりこれを見ると、美しく、立派に、即ち花形に見える筈であつて、その徳を積むが如く、一矢、一矢を正しく射ることによつて弓の品位を向上させるための道程でなければならぬ。
 善中(ぜんちゅう)といふも、決して的中率の高低のみを言つて居るのではない。中りは弓の神(しん)なればと中學集にも述べて居る如く、中りは弓の根本であつて、中りのない弓といふことは考へられない。中りは正射に對する結論であるから、十全の的に向つて、中りによつて自らを反省し、批判すべきは當然の事である。然し、單に的に適中したといふことだけで、決して満足すべきではないことも明かで、中りは弓の本體であると共に、精神の具現でなければならぬ。七情、即ち喜、怒、憂、思、悲、恐、驚の感情を去つて、心平かでなければ、眞の中りの位には到らぬのである。
「本多流弓道」

 

屋代※三 ※=金偏に丈
 弓を射るの目的は的に中(あ)つるにあり。故に的に中(あた)りたる時は例令(たとえ)運動を目的となすといへども、其の興味の生ずることの深きものあるは何人(なんぴと)と雖(いえ)ども異(ことな)る所なきなり。されば日に月に練習して的に中れば、譬(たと)へ獨習(どくしゅう)にても可なるが如くなれども、弓術は前に述ぶるが如く古昔武藝の上位に置かれたるものにして學ぶに難(かた)く又自ら其術を學ぶに方法あるものなれば、眞に之を學ばんとする者は、其方法に由(よ)りて基礎を鞏固(きょうこ)にし練磨の功を積まざるべからず。所謂(いわゆる)自己流にて練習し若しくは一時の興に乗じて弓を弄(もてあそ)ぶ者の如きは、克(よ)く中るといへども多くは漫然由る所なく唯其腕力才氣に乗じて手先の調子のみを以てし精神も姿勢も伴はざること多きを以て久しく中りを保つ能(あた)わざるは當然のことなり。之(こ)れ基礎を作りて練磨の功を積める眞正の中りにあらざるが故なりといふべし。例令(たとえ)多少先輩の教(おしえ)を受けたるものなりといへども啻(ただ)に的中のみを以て弓術の能事(のうじ)了(おわ)れりとなすものは、的に中りて得意なるの日にありて必ず既に悪癖の萌芽を生じ遂に中りは漸(ぜん)次(じ)に減じ、而(しか)して後(のち)悪癖の如何ともなす能わざるに至らん。
『竹林射法大意』

 

竹林派伝書から
三體は父母より譲らる 剛なりと雖も我が力に非ず 弱なりと雖も我が恥に非ず 唯強弱を論ぜず 修學水鐵の如し 喩へば水、水を流す 鐡刀鎬を削る 此の心を知つて 剛は剛 弱は弱と 己々の分々に 骨力を宗として嗜量をおもく 師の恩敎を信じて 強きを猜まず 弱きを讒らず 正直を神として 法度に任せて 心底に治する者には相傳すべし 深昵の弟子なりと雖も 道に愚にして異法に驚き 心深く無きものには相傅すべからざる者也
『本書』第一巻起請文

 

第一 惣十文字之事
 一足踏 二胴造 三弓矢 四構 五會手裏 六打起 七附之金
第二 騒静之事
 一心 二肉身骨法
第三、強弱之事
 一射形 二弓 三矢
第四 軽重之事
 一矢付根筈之掛合 二弓 三射形附離
第五 邪正之事
 一射形的介口伝 二弓 三目中物
第六 会之事
 一一文字 二半念半弱
第七 離之事
 一切位 二乾坤別奇 三鸚鵡
第八 遠近高下之事
 一墨縄 二身積 三蜘蛛尺
第九 遅速之事
 一遅は抱 二速は矢早
第十 分限之事
 一目中 二弓 三矢 四弦 五場附心
第十一 表裏之事
 一矢 二心 三筈
第十二 延縮之事
 一身骨 二氣心
第十三 萬心之事
 一蜘蛛之尺 二雪の目付 三一分三界 四分 五着己着界
『中学集』

 

一 七情の事
 古書には喜怒憂思悲恐驚とあり。又喜怒哀樂憂惡欲ともあり。古書には七情の氣を去りてと有り、予按ずるに七情の氣を去る時は人間無性なり。如何となれ(ば)其の氣を去らんと思ふ處先(まず)七情の一つなり。去り兼たらんは猶更なり。心の動く事は人間の道なり。此心の動く所を鎮むるは七情の気を収るにて有るべし。又或人の物語る七情の内、欲の字は皆附きて廻ると申されき。喩ば喜はよろこび過(ぎ)樂はたのしみ過(ぎ)て兎角に害をなすは、此欲心也。常々修學にも此心を収て過不及なく、急が(ず)怠らずして修擧せば賢覺にも至るべし。又或人の物語に、物の上手にいたる事は死の夕なりと申されき。歌に「朝夕に柴の庵に立つ霧をいつ紫の雲とながめん」「帆をかけて急(ぐ)船にはあらねどもみづ行く鳥の心知るべし」
 此の二首の歌の心、尤もなり。されども夫にては修行に進みなし。古き導歌に「為せは成る爲さね(ば)成らぬ成る事をなさぬが故に成らぬなりけり」。又予(が)導歌に「師はまさり弟子はおとると思ひなばまつ世は下手のふちに沈まん」
 右歌の心もあれば、始る事は難くして捨る事は安しと思ひて怠らぬやうに修學すべき事なり。又射形十脈の内に三病といふ事あり。是れ三の病なり。一に嫌ひ。二に緩み。三に早氣なり。此表を見れば好むと延ると抱と也。此三つを朝夕忘れ(ずば)自然修學も上達すべし。目安の中、掟の段にも三日三月三年と有れば能々味ふべし。
『射法輯要』