「弓聖」本多利實翁とその足跡
翁は日置流竹林派の流れをくむ江戸竹林派第八代宗家であり、射法改革にあたっては伝統的な竹林派を土台として、明治という新時代にふさわしい射法への転換を図りました。その射法は、ごく象徴的に言えば「正面打起」で「大三」をとって姿勢の左右均衡を図るというものです。日本伝統の弓術の根幹を残しつつ、儀礼を取り入れるとともに体育的見地に立脚した近代射法として確立しました。これを本多流三世本多利生(としなり)は次のように述べています。
「利實は元は徳川幕府の旗本で天保七年(一八三六年)の生れ、幼少より父利重に弓術を習い三十才で尾州竹林派の印可を受けている。既に幕末の時期に弓術の達人として名を馳せていたと云って良い。明治に年号が改った時の年令は三十二才である。幕府崩壊の直前、幕府の中に歩兵制度が設けられた時、弓は正式に武器として認められなくなった。それを機に利實は弓術修業を中止した。そして明治十年頃迄殆んど弓術から離れている。明治十年頃から矢場なるものが町に復活して来るが只遊技として行われるだけで弓術を正しく修業するという風潮は全くなく弓術は形骸を留めるに過ぎぬ状態となっていた。しかし明治二十年代に入って弓術を正しく伝承すべきであると考える人達が出て来るに及んで利實も出馬を懇請されることになる。丁度日本も維新後の文明開化一辺倒は止めて日本として近代国家国造りを推進せねばならぬ時勢に入って来た訳で、伝統文化にも目が向けられる様になったということであろう。そこで利實も再度弓術修業を再開し弓術の継承普及に乗り出すことになる。しかし利實の考えは単に江戸時代に行われていた弓術の稽古をそのまま復活して、その指導を行うということではなく、射術の改良を試みて眞の弓術を後世に伝えたいということであった。
利實の考えた改良とは
①幕末に於て世に行われていた射法はバラバラで皆我流に近いものであったが明治になっては更にひどい状態となり遊技的な射しか残っていなかった。これでは正しい射術は後世に残らない。先ず竹林派の理論を基にして射術の據り所を作った上で改良の研究を進めて行こうと考え、具体的に正面打起しして大三をとる射法を打ち出した。
②指導法も改める必要ありということで弦をとるという方法で射術の要を早く体得出来る様にしたいと考えた。即ち指導の中に効率を重んずる考えを持ち込んだ。
此の改良を一般の弓術家に対してのみならず学生の指導の面に取入れて実行することによって近代国家体制の中に弓術を継続して行こうと考えたと思われる。具体的行動として明治廿二年に神田小川町に弓術練習所を開いて指導を始めている。その後明治廿四年から稽古を開始した第一高等学校に廿五年から弓術教授という名で所謂師範として指導を開始した訳である。
かくて弓術は技術の源は近代化以前の時代に求めながら、此の改良によって近代に甦り又発展の道をたどることになったと考えられる。」(東京大学弓術部百周年記念誌『鳴弦百年』より)
この新射法・新指導法はまたたく間に世に広まり、門下には「三ゾウ」と呼ばれた阿波研造・大平善蔵・石原七蔵をはじめとする著名な弓術家が全国から雲集して隆盛を極め、その後の弓道界に大きな影響を与えました。翁自身は本多流を名乗りませんでしたが、翁の没後、翁が創始した射法体系は「本多流」として定着するに至り、全日本弓道連盟射法の土台のひとつとして採用されるなど、今日につながっています。
さらに翁は東京帝国大学をはじめとする多くの大学や旧制高校等の師範に就任して次代を担う学生を多数指導し、日本弓道の将来を見据えた活動を展開してその発展に貢献しました。その伝統は今も引き継がれており、歴代の全日本学生弓道連盟の会長に本多流関係者が多数就任しているのもその証左と言えるでしょう。
こうした翁の業績は、柔術が柔道に転換したと同時期に弓術から弓道に転換させる大きな役割を果たしたと高く評価されており、本多利實翁は近代弓道の祖として柔道界における嘉納治五郎師に並び称され、弓道界における「弓聖」と仰がれています。
一般財団法人本多流生弓会
(登録商標)
本会は、翁の没後その業績を後世に遺すことを目的に大正6年に任意団体「生弓会」として発足しました。その後大正14年に社団法人として法人化、昭和18年に財団法人へと改組、更に平成25年1月には内閣府より「一般財団法人 本多流生弓会」として認許されました。
現在は本多利永四世宗家を理事長として、翁の遺された本多流を現代の弓道に相応しいものに進化させるとともに、その射法を正しく後世の伝えることを目指して活動を続けています。一例として、毎年秋に開催される「中央研修会」では本多流射法の科学的分析、伝書研究などの会員による研究発表会、実技としての射技・射礼研修を2日間にわたって開催しています。また別の例として、翁の遺された遺志を引き継ぎ、弓道研究の一助とすべく、生弓斎文庫の文献の一部を『本多流弓術書』(創立80周年記念事業)として刊行しました。
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本多流系図 および 略年表
本多流系図 および 略年表(PDF) |
【 本多流 ・ 略年表 】
西暦 | 年号 | 記 事 | 理事長 |
- | 江戸後期 | 本多利重(流祖利實の父―徳川幕府の旗本、本多家初代利友から12代)、日置流竹林派家元の津金新十郎胤保から宗家を継承 | |
1829 | 文政12 | 本多利重、徳川11代将軍家斉の前で大的上覧。 | |
1836 | 天保7 | 本多利實、利重の長男として誕生。6歳より弓を習う | |
1860 | 安政7 | 25歳で日置流竹林派皆伝印可 | |
1869 | 明治2 | 医学校(現東京大学医学部)勤務。後、文部省へ移る | |
1889 | 明治22 | 『弓道保存教授及び演説主意(一名「弓矢手引」)』著
神田小川町に弓術練習所を開設。巣鴨村村長に任命 |
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1892 | 明治25 | 第一高等学校弓道教授に就任 | |
1900 | 明治33 | 日本体育会弓術部教授に就任。『弓学講義』(長谷部言人筆) | |
1902 | 明治35 | 『弓道大意』刊。東京美術学校、東京帝国大学弓術部師範就任 | |
1905 | 明治38 | 学習院弓術師範就任 | |
1907 | 明治40 | 『射法正規』著 | |
1908 | 明治41 | 『日置流竹林派弓術書(東京帝国大学弓術部編)』刊 | |
1909 | 明治42 | この頃『弓術講義録(大日本弓術會)』刊 | |
1917 | 大正6 | 『尾州竹林派弓術書(東京帝国大学弓術部編)』刊
利實、交通事故で逝去。任意団体生弓会発足 |
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1922 | 大正11 | 生弓会編『竹林射法大意(屋代釱三著)』刊 | |
1923 | 大正12 | 本多利時、本多流二世を継承(本会発足の起点)。任意団体生弓会解散
利實講述『弓道講義(根矢鹿児編)』刊 |
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1925 | 大正14 | 社団法人生弓会発足 | 関谷龍吉 |
1930 | 昭和4 | 生弓会本部道場を巣鴨庚申塚に建設。翌年道場開き
生弓会編『尾州竹林派弓術書』刊 |
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1931 | 昭和5 | 生弓会「会報」創刊 | |
1939 | 昭和14 | 雄山閣『弓道講座』13、14巻に「中学集講義」上下を利時著 | |
1940 | 昭和15 | 雄山閣『弓道講座』18巻に「学校弓道の現況」利時著 | |
1943 | 昭和18 | 社団法人生弓会を財団法人に改組 | 関谷龍吉 |
1945 | 昭和20 | 生弓会本部道場、戦災で焼失。二世利時、逝去 | |
1949 | 昭和24 | 日本弓道連盟発足(会長に樋口實) | |
1952 | 昭和27 | 日本学生弓道連盟発足(初代会長に高木棐~生弓会師範) | |
1963 | 昭和38 | 本多利生、本多流三世を継承。活動再開 | |
1969 | 昭和44 | 藤岡由夫、生弓会の理事長に就任。『会報』復刊 | 藤岡由夫 |
1976 | 昭和51 | 『本多流始祖射技解説』(寺嶋廣文著。生弓会発行) | |
1977 | 昭和52 | 前田充明、理事長に就任。「弓道の科学的分析」を提唱し推進 | 前田充明 |
1989 | 平成元 | 柳川覚治、理事長に就任 | 柳川覚治 |
1991 | 平成3 | 中央研修会を本格的に開催 | |
1993 | 平成5 | 生弓会70周年記念の中央研修会で利生宗家「明治・大正・昭和の本多流の射手」を講演 | |
1994 | 平成6 | 三世利生、逝去。本多利永、本多流四世を継承 | |
1996 | 平成8 | 「本多流勉強会」を立ち上げる | |
2002 | 平成14 | 本多利永、本多流四世を襲名披露 | |
2003 | 平成15 | 生弓会編『本多流弓術書』刊(監修:利永宗家) | |
2005 | 平成17 | 遠山耕平、理事長に就任 | 遠山耕平 |
2006 | 平成18 | 生弓会編『本多流射礼解説書』刊(監修:利永宗家)。射礼DVD発行 | |
2013 | 平成24 | 公益法人改革により一般財団法人本多流生弓会に改組、同時に四世利永、初の宗家・理事長に就任 | 本多利永 |
2014 | 平成25 | 『本多流弓術書』及『本多流射礼解説書』を再刊 | |
2017 | 平成29 | 利實翁没後100年記念射会開催 | |
2017 | 平成29 | 『朝嵐松風 本多利實伝 弓道本多流史上巻』発刊(東京大学弓術部・赤門弓友会) | |
2019 | 令和元 | 『洗心日新 本多流の百年 弓道本多流史下巻』発刊(東京大学弓術部・赤門弓友会) | |
2023 | 令和5 | 明治神宮で創立100周年記念射会奉納演武 記念講演会開催 創立100周年記念誌『其争也君子』発行 『本多流叢書』刊行開始 |