如此種々教は有りといえども、帰する処弓を引いて矢を飛ばし的中せしむるに止まるのみ。何ぞ如斯く種々に別あらん哉。後世に 至り本末を違い、何流は如此などと形に株守して本を失ひ末を論ず、是遺憾の至りなり。本一つなり。末に些少の見識あるのみ。 夫は一々説明すべし。

此度余此道の保存を計画せんと欲し、各位有志者の賛成を仰ぎて将来の継続を計る。故に有志者質問の廉 あらば、余知り得る限り聊惜しむ事なく尽く伝授すべし。又射て的中せしむるの術は、余に三月の光陰を 給へ。徒らに射給う人と異なる所を見て弁え知り給うべし。

猶一言残さんとする。現今の射は遊戯運動のみ。然れども、射は前言の如く端正篤実にして行状志を顕すの器 なれば、軽忽になす可きなし、且つ、運動に尤も適当なすの説は、顕幽両途の説に言うが如く、 射を適々的中せしむる時は其愉快他の器の及ぶべきものなし。是精心の活く業射を以て右に出ずるものなし。 故に人体運動に尤も適すべし。悉しき事は業を以て伝うべし。

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