本多流七道 〜 胴造

胴造 〜中央なるを吉とす 五身の内直なる形を用ゆ〜

大日の曲尺
大日と申すは今日の所謂太陽のことで、佛書で申す大日如来のことで ございます。大日如来と申しても、太陽と申しても、何れも偉大にして 光明赫々たるものとしてございます。一体弓術に於いては恐るるという ことが第一の禁物で御座います。 その道理で弓を射るに当たっては射手は大日如来である様な心持ちで居らねば ならぬということで御座います。 平日一人にて弓を射るときは、度量も落ち付き、巧みに出来ますけれども、例えば 儀式ばった所とか、所謂晴の場に出て致します場合には、余り大事を取り過ぐるもの から、十人が十人までが射そこなひをしたり、かたがた出来が悪ふございます。 つまりやりそこなひが多いのであります。それは気前で自分の気の臆する為めに起こる もので御座います。是等は平常から気を練って居って、いざという場合にも気後れ のせぬ様につとめねばなりませんぬ。 地球の世界において、有りとあらゆる万物の中で何が最も恐るる所なきかと申せば、 大日如来即太陽で御座います。それで弓を引く人は決して物に恐るるなという所から、 此の大日の曲尺ということを此処で申すので御座います。即ち精神上に於いて恐怖の 念を去りて、大日如来の心持ちになり、臍下丹田に気を練り、何物にも自分の体を 動揺させられざる、どっしりしたる胴を造れと申すことで御座います。

真の鞍の曲尺
馬に乗りますには鞍の中央と覚しき所に、悠然として尻を落ち付かせます。 体は左右に確かと沈めて大日如来の心持ちにて落ち付かねばなりません。 之れが即ち真の鞍の曲尺で御座います。 しかしながら、馬も御承知の通りの活物であって、死物ではありませんから、 色々に働きます。働くに従って前が高くなったり、後が高くなったり致します。 其の馬の体の動揺につれて、我体も動く、其の動く中にありて決して動かざる 中央に居るので御座います。屈みながら体を鞍の中央に置かねばなりません。 これが真の鞍の曲尺で御座います。

左右の妻肩、上肩地紙に重ねよの口伝
上肩と申します所は、左右の肩の骨の突つ先を申します。それから、一段だれて 下がった所の、左右の手の骨の関節の下一寸五分ほど下がりました所妻肩と申します。 左右とも同じことで御座います。 上肩、妻肩地紙に重ねよと申します。其の地紙とは扇のことでございまして、 十軒の扇を五六軒開きたる足踏の形の上に、上肩妻肩を落ち付かせる様にせよ と申すことで御座います。そふすれば的前ならば後の脊髄は袴の腰板にひたりとつき、 体は真直になりて、胸は左右に開け、俗に申す水月(或は鳩尾と書く)は中央となり、 両方の肋は左右に開け、臍の穴が下を向き、左右の足の中央に向ひます。かく致せば 馬にのりても鞍に構ひあれば落馬する様なことは御座いません。

(此の外に「日月身」「五身」の伝有。ここにては略す。)

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